Aug. 22 / 2020 

80歳の誕生日

1940年昭和15年8月22日生まれの私はこの日2020年8月22日めでたく80歳の誕生日を迎えた。傘寿だそうだ

Eighty Twenty とか、なんとか80歳で20本の自分の歯で美味しく食べることができるのも神様の恵みだろうか。

 

 

ご先祖峰松春吉翁を通して親戚だと分かったイスラエルにお住まいの諸田さんから誕生日カードを戴いた

諸田さんはイスラエルのエルサレムにお住まいでたまたま私たちの曾祖父峰松春吉翁のことをグーグルで調べておられたら私のMy Book のブログに峰松春吉翁の記事があったのを見つけられ私に親戚だということでメールを下さった

ホテルAmerican Colony ( 東エルサレム )

画 ( 水彩 ) : Gorge Kosinsky



 

 書棚を整理していたら懐かしい写真、いやライセンスが出て来た。この国際免許証は2000年8月に関西テレビを退職したとき、米国オレゴン州に住む弟正徳が誘ってくれたので渡米する際に作ったもの、そして更にその後2002年、2006年と観光で渡米するために取ったもので、まだまだ若かった。20年前の写真だ。2001年は弟とオレゴン州をドライブ、2002年にはカナダのホイスラーを始め西海岸を北上しバンクーバーを目指すドライブ旅行だった。2006年にはノースカロライナ州に家を作った甥の圭太くんの新居訪問がメインの渡米で国際免許が大いに役だった。このページの一番上の Link のところをクリックして開いて戴くと、その時の様子がが見ていただけるのでよろしければご覧ください。

 

私の病気・・・潰瘍性大腸炎

ulcerative colitis , UC

私は2011年平成23年7月潰瘍性大腸炎と診断されて以来今年で10年目となるが、この病気は活動期と寛解期とがあり再燃を繰り返すといわれ、現在の私は寛解期ということで落ち着いた状態で薬での治療を続けている。寛解期とは症状が治まることで、活動期とは病状が強く現れる状態である。前の総理大臣の安倍さんは中学生のころに病気にかかってつい先日病状が悪くなって長く首相として務めた職を辞することになったが、症状の現れ方はさまざまで、一般的に症状としては下痢、下血、腹痛、粘液を伴う血便等があり、良くなったり悪くなったりを繰り返すが、発熱、重症化すると頻脈、体重減少、栄養不良、貧血等の腸管合併症が現れる。20~24歳がピークと言われ女性の場合は25~29歳がピークだと言う。日本では難病の一つに指定されており、重症患者は少なく、発症率は90%が軽度から中度の症状で、7~8年間,あるいは長期間活動性の状態が持続するとがん化するとのことで、そのため潰瘍性大腸炎と診断された場合は症状が良くなっても適切な治療と検査を続けていくことが大切である。難病指定の厄介な病気持ちながら、私も何とかそこそこ元気に今年傘寿、80歳の誕生日を迎えることが出来た。

この病気は腸内細菌の働きや自己免疫反応の異常、食生活の変化などが関係していると考えられているが、家族内での発症も認められているため遺伝的要因が関与しているとの見方が有力である。欧米では約20%の患者に炎症性の腸疾患(潰瘍性大腸炎またはクローン病)を患っているとの報告もある。長期間の旅行、激しい運動、ストレス、過労、睡眠不足などに注意し、内視鏡検査、病理検査が必要で、発病後7,8年以上たつと大腸がんを併発することがあるため、症状が落ち着いても定期的な内視鏡検査が必要であるが、私は神戸赤十字病院消化器内科で発症以来定期的な外来治療を受けている。消化の良い高エネルギー、高タンパク、低脂肪、低繊維の食事が基本で酒、アルコール、炭酸飲料、乳製品などの過剰な摂取は禁じられている。、、、、もう10年も経ってしまったのか、、、。

弘田三枝子という歌手が亡くなった。心不全という突然のことだが、なんだか千恵子のことが気になるニュースだった。

弘田」三枝子 ・・・ 歌の上手い変わった歌手だった

 

♪V・A・C・A・T・I・O・N! 楽しいな!…私が子どもの頃、夏休みになるといつも、この曲が頭にリフレインしたものです。

 アメリカのコニー・フランシスの曲のカバーとして、『ヴァケーション』が日本で大ヒットしたのは、1962年のこと。2年後の東京オリンピックに向け、戦後日本の復興は目覚ましく好景気の波に乗っていた時代。「夏休み」というのは、お盆でお墓参りをするだけではなく、家族や恋人と何処かへバケーションするものだと、日本全国民の価値観を変えたヒット曲だと言っていいでしょう。

 この歌を唄ったとき、彼女はまだ15歳だったというから驚きです。その抜群の歌唱力とリズム感は、小学生の頃から進駐軍のキャンプで歌っていたことで鍛えられたものだとか。

 天才少女「ダイナマイト・ミコ」やがて「和声アメリカンポップスの女王」と呼ばれ、あのフランク・シナトラと同じ舞台にも立ったことがあったという歌手の弘田三枝子さんが、7月21日に千葉県内の病院でお亡くなりになりました。享年73。死因は心不全でした。

 所属事務所の発表によれば、弘田さんは亡くなる前日の20日に、御自宅で突然倒れたとのこと。ちょうど遊びに来ていた実姉が119番をし、緊急搬送されました。しかし、21日の夜に容体が急変したそうです。その直前までは大変お元気だったといいます。